おしらせ

2025-12-16 22:55:00

📝なおこ先生のおはなし(大学〜現在編)

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咲柔館コラム312
なおこ先生のおはなし(大学〜現在編)

 

 

 

 

 こんにちは、赤髪がトレードマークのなおこ先生です。

 早いものでもう12月ですね。皆様は今年1年有意義な過ごし方ができましたでしょうか?

 私は、書こう書こうと思いつつあっという間に12月が訪れてしまったので、2025年が終わる前になんとかと思い、今回筆を執らせて頂きました。

 

 

 

 

 さて、私の着ている柔道衣。胸のマークに「東海大」と刺繍があるのは咲柔館の皆様なら見たことがあるかと思います。そうです。柔道界では有名な、あの「東海大」です。オリンピック選手、世界で活躍する選手を多数輩出している大学です。私自身、出身が平塚市(東海大学湘南キャンパスは平塚市にある)という事もあり、柔道を始めた頃からとてつもなく憧れていた大学でした。

 そんな憧れの大学へ推薦で入学が決まった時には、もう怖いものなしの有頂天でした。

 

 

 

 

 中学で基礎を学び、高校で自信をつけ、意気揚々と入学した東海大学。しかしそこでは、私程度では最低ライン。同級生10人のうち、そのほとんどが各都道府県のチャンピオン又はそれ以上の実力者でした。

 さらに先輩方はもっととてつもない強さで、その年の大学日本一に輝く人たちだったのです。

 そんな実力者揃いの中で、当然ながら己の力不足、練習不足、思い上がりを痛感しました。

 とてつもなく強い人と組むとどうなるか、知っていますか?

 答えは、〈気が付いたら畳に打ち付けられている。〉です。もう、何で投げられたかもわけがわからない。

 そんなこんなで深刻な実力不足を痛感しながらも、同級生や先輩方に助けられ、なんとか1年、また1年と大学生活を過ごしていました。ある時、先輩から専属付き人として試合や練習会への参加を打診され、自分の存在が認められた様で嬉しく、その先輩に尽くそうと思う自分がいました。

 勝負の世界ではトップに立つ1人の為に、支えるたくさんの存在が居ることを今となっては充分に理解しています。しかし当時の私は、誰かのために存在することで、自分の実力不足から目を逸らしている側面の方が大きかった様に思えます。

 

 

 

 

 そうして迎えた大学3年生。柔道を続ける事の目的を、自分軸から他人軸にしてしまったことで、競技スポーツとしての柔道を追い求めたい己の気持ちに矛盾が生じ、柔道を辞めるという選択を取りました。

 そうです、今まで咲柔館の皆様や柔道復帰してから知り合った方々には時々話していましたが、私実は、東海大学柔道部を3年生の夏に辞めているのです(大学自体はしっかり卒業していますよ)。

 歴代の学生の中でも東海大学柔道部を辞める人というのは、かなり特殊な事情がある人に限ります。しかし、私は「他に目指してみたい道ができた」という理由で、退部したのです。

 もちろんそれまで面倒を見てくださった先生方、親、同級生や先輩、さらには次年度入学してくるであろう母校の後輩にまで迷惑を掛ける事になりました。それなのに私の周囲では、批判よりも「頑張ってね」の声が多く、改めて周囲の優しさには感謝しかありませんでした。

 

(「他に目指してみたい道」の件につきましては、興味のある方はぜひ私に直接聞いてください。一応そちらも、ウェブで検索すれば写真が掲載されている程度には頑張ったので、聞いてくれたらお見せしますよ〜!)

 

 

 

 

 おっと、話を柔道に戻します。

 そんなこんなで一度は別の道を歩んだものの、結婚し娘が生まれたことをきっかけに「家族を守れる自分でいたい」と強く思うようになり、また、柔道の世界へと足を踏み入れる事となりました。

 咲柔館へは、東海大学にいた事を伏せて見学と体験に行ったのですが、初日で綾川先生にバレました。というか、高校時代の私の事をご存知でした(合宿などでお会いしていた)。

 久しぶりに始めた柔道は、私の知る柔道とは異なることも多く、ルールや思考の進化はもちろんですが、競技柔道と生涯柔道の違いも、私にとっては衝撃的でした。正直、混乱した浦島太郎状態です。 ただ、生涯柔道の考え方は、今の私にとってまさに理想的な柔道との向き合い方であると感じました。

 それからは、綾川先生のもとで自身の練習を重ね、子どもクラスの指導者としての打診を頂き、指導者資格を取得し、子どもクラスの指導にあたる事となりました。

 

 

 

 

 ここからは、私の人生において全く予想もしていなかった出来事が起こります。

 大学時代の同級生とはこれまでも時々連絡を取り合う仲でしたが、私が柔道を再び始め指導者へなる事を知った同級生が、在学当時の女子柔道監督(今は東海大学名誉教授)とお会いする機会を設けてくれたのです。

 当時己の身勝手で退部した申し訳なさでおずおずとご挨拶をしたのですが…

 なんと、卒業後10年以上経った今、正式に東海大学OGとして認めると仰ってくれたのです。

 必要であれば道場内に飾られている卒業生一覧札にも追加すると!

 理由としては、柔道家人口の減少している昨今で、再び柔道を始め更には指導者側へなった事への実績とこれからの期待を込めてとのことでした。

 突然の出来事に、「え?ご冗談ですか?」と聞き返す程驚きましたが、これほど嬉しい申し出はありません。

 その日は家に戻ってからすぐに大学宛に書類を送り、無事、東海大学柔道部OGの1人として登録してもらうことができました。(実はこのケース、私で過去2人目だそう。)

 

 びっくりですよね。まさかOGとして認めてもらえるとは。

 なので、私の東海大学柔道部OGの立場は、咲柔館があってこそ認められたことなんです。

 これからもそのご期待に応えられる様、精進していく所存です。

 長くなりましたが、大学〜現在に至るまでを紹介させて頂きました。

 大学のすごい人たちの小話は、また別の機会に。

 

 

 

 

「柔道をやることで、人生はより豊かになる」

「柔道家が増えることで、社会はより良くなる」

 

※写真に写っている皆さまには、猪瀬先生が掲載許可を得ています。

※猪瀬先生は後列右端です。

 

 

 

※noteより転載
https://note.com/shojukan/n/n217d3214fab0?app_launch=false